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銅像めぐり~12~
Lamoral d’Egmont(1522~1568) 
エグモント伯ラモラル
スペインの圧制に抵抗した伯爵


 花市や、フラワー・カーペットでおなじみのグラン・プラス。ここは「世界で最も美しい広場」と、ヴィクトル・ユーゴーが絶賛したことでも有名ですが、ベルギーの歴史をひも解いてみると、悲惨な出来事のあった場所でもあるのです。
 この広場で斬首の刑が執行されたのは、1568年6月のことでした。断頭台に上ったのは、エグモント伯爵。ゲーテの戯曲「エグモント」のモデルになった人で、ゲーテを敬愛していたベートーヴェンはこの戯曲のための劇音楽を残しています。中でも「エグモント序曲」は特に有名で、聴いたことのある方も多いでしょう。
エグモント伯は、当時スペイン領だったネーデルラント(現在のオランダ、ベルギーにかかる領土)の大貴族の家に生まれました。当時、北ヨーロッパではプロテスタントが勢力をのばしつつあり、ベルギー北部のフランドル、ブラバントも例外ではありませんでした。1556年、スペイン王としてフェリペ2世が即位。フェリペは厳格なカトリック信奉者だったため、ネーデルラントに対しても厳しいカトリック政策を取ります。都市の自治権を取り上げ、重税を課すといった政策に、民衆は抵抗し、あちこちで教会の焼き討ちなどの暴動が起こるようになりました。

 当時フランドル地方長官だったエグモント伯は、プロテスタントの保護と、ネーデルラントの独立を願い、オラニエ侯ウィレム(後のオランダ王ウィレム一世)とともに「貴族同盟」を発足させます。こうした動きに対し、フェリペは、1万人の軍隊をネーデルラントに派遣。軍隊の総指揮を執ったアルバ公は、フランドル総督となり、1567年には、フランドル、ブラバントの各都市に軍隊を駐屯させ、反抗勢力の一掃にかかります。エグモント伯と共に戦った盟友ホルン伯も逮捕されてしまいます。反逆者を裁く裁判は「血の法廷」と呼ばれ、ここで多数のプロテスタント信者や、レジスタンスが死刑を宣告されました。アルバ公が6年間で処刑したのは6000人から 8000人にのぼり、エグモント伯の処刑が、以後1609年にかけてのオランダ独立戦争の導火線になったといわれています。

 スペインに対する、最初の抵抗運動ともいわれる彼の功績は、人々の心に深い感銘を与え、戯曲や音楽のみならず、絵画としても残されています。また、古い建物の壁面装飾として、自分の首をかかえたエグモント伯が描かれていることもあります。もちろん、ベルギー・ビールの銘柄としても「EGMONT」、「LAMORAL」の2種があります。ブリュッセルの南西約20キロの「Zottegem(ゾッテヘム)」という街の教会に彼の墓があり、「EGMONT」ビールの醸造所もこの街にあります。日帰りの“歴史散歩”に、訪れてみるのもよいかもしれません。

戯曲「エグモント」あらすじ
フランドル領主、エグモント伯はスペインの圧制に抵抗するために立ち上がる。スペイン軍の総指揮をしていたアルバ公に捕らえられ、死刑を宣告される。恋人のクレールヒェンは、必死に彼を救おうとするが果たせず、服毒自殺してしまう。処刑を目前にして、まどろんだエグモント伯の前に彼女が現れ、祝福する。エグモント伯は勇気づけられ、強い足取りで断頭台に向かう。